ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

【非科学的考察vol.0】

Hey, guys.
どうも、すがやんです。

 

 

 

突然ですが

科学ってなんでしょう?根拠ってなんでしょう?

 

科学的に証明されているものも、全て人が証明した事なんですよね。絶対的な根拠ってあるのでしょうか?

 

 

今日はそんな小言を

 

 

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「それって誰から聞いたの?」

 

「お父さんがよく言ってる。」

 

「えーあてにならないよ、それ。」

 

 

 

 

「TVでこんな事言ってたんだー」

 

「えーTVは嘘ばっかだよ」

 

「いやでも雑誌でも読んだ事あるよ

科学的に証明されてるって」

 

「っていうのを、雑誌で読んだだけでしょ?」

 

 

 

 

みたいなやり取り。

 

 

どこから引用していれば、科学的に証明されていると言えるのでしょう?

 

論文?

 

物理や化学の定理なんかはそうかもしれません。

 

 

 

じゃあ、いちいち真偽を確かめるために、大元となる論文の原文を確かめにいく?

 

 

日常生活で、そんな面倒な事する人いませんよね。

 

 

 

 

情報が溢れる昨今、その情報の信憑性や科学的根拠について謳われますが

 

真の意味で科学的根拠の証明を、個人で担保するのは結構難しいと思うんです。

 

 

 

さらに言うと前述の通り、科学も結局は人が見つけたもの。

 

100%と言い切れない分野もあるかもしれない。

 

 

 

 

 

何が言いたいかというと

 

・科学的な証明や根拠

・情報の信憑性

 

こういうのを100%担保しようとする事。実は人生においてそんなに重要ではないかも。

 

そんな事を最近思うのです。

 

 

 

 

ここから個人的見解ですが

 

情報過多社会において大事なのは

 

基礎知識

×

推測力

×

納得感

 

 

これが今の私の持論です。

 

 

 

「今の」ってのが良いですよね、来月全然違う事言ってるかもしれません。でもそれが変化であり、人生の面白いところ。と思っています。

 

 

 

話をこの3要素に戻します。

 

 

 

「確からしさ」

を判断するためには、最低限の知識や教養は必要。

 

そう考えると、個人的に数学と歴史は一番力を入れて取り組む義務教育科目だなぁ、と思います。

 

(歴史全く勉強しなかった…)

 

 

あと物理と化学やっておけば、世の中のニュースやいろいろな仕組に対する見え方が違いますよね。

 

 

 

脱線しましたが、最低限の知識と教養。

これはやはり、生きていくうえで必要です。

 

私は数学以外は、ほぼ大学時代のバイトと読書、あとは社会人で身に付けた気がします。

 

沢山の事に興味を持ち、普段から情報をインプットしていれば、学生時代に勉強していなくても、最低限の知識・教養は身につくのではないかと思います。

 

 いくつになっても身に付けたいですね。

知識と教養

 

 

 

 

そして世の中

 

100%絶対そうだ!!

 

と言い切れる事の方が少ないでしょう。

 

 

分からないなりに、信憑性や物事の結末・未来を判断するのに必要なのが、推測力です。

 

地頭とか仮説力とか、いろいろ言えるのでしょうけど。個人的にはこのワードが好きです。

 

 

人は大なり小なり、常に推測・推察してますよね。ニュースを見てる時も、仕事中も、誰かと飲んでいる時も。

 

その思考の深さ、鋭さを日々の少しの意識で鍛える事で、自分なりの正しさや結論を出しやすくなると思います。

 

 

何事も100%はない世界において、人は判断や選択を常にしなければならない。

 

そのうえで、前述の基礎知識をベースにした推測力をどれだけ高められるか。これが人生の深みを左右する気がしています。

 

 

 

 

 

そして最近、自分の人生という視点で最も大事だと思うのが、納得感

 

自分が楽しく生きるうえで、事象Aに科学的根拠があるかどうかは、正直どうでもいいです。

 

 

人によっては

 

専門家が言っていれば、納得

 

という人もいれば

 

お母さんが言う事は経験上正しいから、お母さんから言われた事は納得

 

なんて人もいるでしょう。

 

 

納得の条件というのは、人によって、また対象によっても違うものですよね。

 

 

 

例えばプラシーポ効果ってあります。

 

 

薬と信じて何でもない砂糖を飲んだら治ったみたいなやつ。

 

脳科学者であれば、この信じ込む力が実際に身体へ与える影響を調べなきゃならんのでしょうが

 

 

 

もし自分が患者であれば

 

薬だろうが偽物だろうが、「治った」という事実・実感が重要です。

 

この実感をであったり、自分の経験だったり。人々はそれぞれ独自の条件下で納得をします。

 

 

どれだけ知識があって 推測力があっても、そこから導き出した結論に自分が納得できていなければ、その解が腑に落ちる事はないし、どこかで気持ち悪さを感じます。

 

 

人生、正しいか、素晴らしいか、いろいろな価値基準も大事ですが、何より自分の人生を歩むために納得感は必須の条件だと、最近強く感じます。

 

特に分からない未来を推測しながら、何かを選択・決断する時においては。

 

 

 

 

 

結局人生に訪れる幾億もの不確かな情報は

 

 

基礎知識を持って、確からしさを計り

 

知識の範囲外にまで、推測力で仮説を立て判断する

 

そして納得感を得て、それを自分の真実とする。

 

 

 

これの繰り返しなのではないか。

 

 

 

もう何かの宗教みたいになってきました。

ふと思った事を見切り発車で書くと、こんなことにもなりますね。

 

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うまく言語化できていないものの

いちいち細かく調べる気はないけど、ベースの知識+自身の推測+経験則(≒納得感)から「これって〇〇なんじゃね!?」と思う事は、日常で沢山あります。

 

 

特に感情、身体に関わる事とか、人間関係とか。

 

例えば「栄養バランス云々より、好きな物食べてもストレス溜めない方が健康に良いんじゃね?」みたいな話です。

 

 

こういう答えのない(あったとしても自分は知らない)事をフガフガと考えるのが、結構好きなんですよねぇ。

 

 

 

そういう事が思い浮かんだ時に「あーなんでメモしなかったんだ、もったいない」と思う事が多々ありまして。

 

 

そんなわけで、今後ふと思った事があった時

 

調べるのは面倒だけど、自分で考察して思考ログとして残しておきたい。 

 

という想いから、シリーズ化できるよう今回のタイトル・内容を綴りました。

 

シリーズ化して結局1回も書かないかもしれませんが笑

 

 

 

次に思い浮かんだ時は、非科学的考察してみたいと思います。

 

 

 

 

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