ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.2

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藤沢の王将で聞いた「コーチング」

 

 

友人のKeiが、協力隊とは別で勉強しながらやっているという

 

 

この時は、「ふーんそんなのがあるんか」位にしか思わなかった

 

 

 

 

聞いただけだとよく分からないし、なんか胡散臭いと思ったが

 

 

Keiが勉強してるというので、変なものではないんだろうと思った 

 

 

 

 

この後、まさかKeiがコーチングで独立するとは

 

 

そこに居合わせたKenichiもコーチングスクールに通って勉強を始めるとは

 

 

そして私がコーチ関連の繋がりを紡いで、退職とワーホリを決めたり、フィリピンでステキな出逢いに繋がるなんて

 

 

 

この時は思いもしなかった

 

 

 

 

 

 

私が今、ワーホリでオーストラリアにいるのは

 

さざ波のような人生の一事象に過ぎない

 

 

 

もちろん、コーチングとの出逢いもきっかけの1つだ

 

 

ただ、このピースがなければ今頃会社を辞めていなかったかもしれない

 

 

 

 

それを言うと

 

会社での経験や、友人とのなんでもない飲みでの一言など…全てが、今に欠かせないピースなのだが

 

 

コーチング」という聞きなれない言葉は、ヒゲニートになるまでのいきさつを語るうえで、非常に重要な要素なのは確かだ

 

 

 

 

 

王将でKeiの話を聞いた後は、コーチングの事などすっかり忘れていた

 

 

その後も変わらず

 

 

いや、毎日少しずつ変わりながら、行ったり来たり

 

 

自分なりに仕事を頑張って

 

それなりに褒められて、またもうちょっと頑張って

 

遊びにもご飯にもお金を使って

 

 

 

そこそこ充実した暮らしを過ごしていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして

 

Kenichi含めた高校の友人らで

 

 

 

Keiに会いにネパールに行こう

 

 

という話が出てきた

 

 

 

これは王将での再会時に、

 

 

「遊び行くよー!」

 

 

みたいな話になったのかもしれないし

 

そうでないかもしれない

 

 

 

 

あまり覚えていないが

 

 

Keiの後日談で

 

 

「冗談だと思っていたから、まさか本当に来るとは思わなかった」

 

 

 

と言っていたので

 

 

恐らく完全にノリで、有給合わせてネパール遊びに行こうぜ!

 

 

 

という話になったのだろう。

 

 

 

 

 

 

実は私は、海外とは無縁の人生を送ってきた

 

 

 

 

 

勝手に

 

 

「海外って英語喋れる凄い人達が行く所」

 

 

という謎の偏見を持っていた

 

 

 

 

 

割と保守的な両親でさえ、私が大学の時に

 

「留学してみたら?」

 

と勧めたらしいのだが(全く覚えていない)

 

 

 

バイトを長期間休めないし、興味ない

 

 

と一蹴していたとのこと

 

 

 

 

どうやら「体験する」ってのは本当に大切らしい

 

「体験」は人の解釈を変える

 

「解釈」は人生を変える

 

 

 

 

 

 

「海外」をTVやネットの向こうの、まるで芸能界みたいな異世界だと思っていた私は

 

 

卒業旅行でいっちょ前にNYと香港へ行ったものの

 

 

学校の行事でTVの収録見学に行ったようなもので

 

 

海外=異世界の認識は、社会人になっても変わる事はなかった

 

 

 

 

 

 

 

その認識が大きく変わったのが

 

 

Keiに会いにネパールに遊びに行こう!ツアーだ