ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.11

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初めて出逢った

 

言葉も通じない

 

子供たちと外国人の冒険は、数時間に及んだ

 

 

 

子供たちが代わる代わる手を引き

 

たまにその辺の植物を食べさせてくれたり

 

 

 

 

さすがに

 

目の前でむしり取った、何か分からない植物を食べるのは気が引けた…

 

 

それを察したのか、心配そうな顔をした後に

 

 

「あ!」

 

 

と閃いたように目を見開き、満面の笑顔でその実を拭き始めた

 

日本では古着屋にも買い取ってもらえなさそうな、ボロボロになった自分の服で

 

 

 

 

またあのキラキラの笑顔で、拭いた実を差し出してくる

 

 

 

 

その気持ちが嬉しくて、お腹の心配なんてどうでも良くなって

 

それを食べた

 

 

 

子供たちは私が食べる姿を見て、またキャッキャとはしゃいでいる

 

 

 

 

 

 

日本で大事だと教わってきた気遣い

 

 

 

 

それとはまた別のニュアンスの

 

 

彼らの「気遣い」を何度も感じた

 

 

 

 

もっと根源的な「GIVEの精神」とでも言おうか

 

 

 

感情のままに、ストレートに、彼らが表現を行っているのは間違いないが

 

 

みんな自然と

 

 

この知らない外国人に何かしてあげる

 

喜んでいそうだ

 

めちゃくちゃ嬉しい!楽しい!幸せー!!

 

 

 

という方程式を持っているようだった

 

 

 

 

 

これは、ホームステイ先の家族から感じた

 

あまりに自然な溢れる愛と通じるところがある

 

 

 

無条件に相手を受け入れる事と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうか

 

 

 

彼らは

 

 

「あなたがいるだけで嬉しい」

 

 

 

あえて言うなら、そんな感覚を持っているのかもしれない

 

 

 

 

 

 

いるだけで嬉しい相手が、笑顔になろうものなら

 

こっちはもう飛び切り幸せだ

 

 

 

彼らがそんな風に思っているように、私には見えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気付くと冒険は終わり

 

 

スニタディディの手作りカレーをまた沢山食べ

 

 

 

Keiが迎えに来て、友人たちと集合し

 

 

村を後にしていた

 

 

 

 

 

あんなにのんびりしていたけど

 

あっという間に終わってしまったな

 

 

 

 

 

いろいろ考え、いつのまにか自分を見つめ直し

 

 

最後に子供たちを通じて感じた

 

 

 

 

 

「あなたがいるだけで嬉しいよ」

 

 

という無条件の愛のメッセージ

 

 

 

これは、親が生まれてきた子供に注ぐものと同種だろう

 

だから初めて会った彼らに、家族のような安心感を覚えたのかもしれない

 

 

 

 

 

そして

 

 

初めて会って

 

言葉も通じず

 

外国人である私に

 

 

 

存在自体への愛・感謝を抱ける彼らは

 

 

 

同じく、自分自身の存在自体を愛し、感謝し、受け止めているのだろう

 

 

 

 

 

 

この

 

人・自分への向き合い方は

 

今まで自分が出遭ったことのないもの

 

 

 

 

自分は存在してるだけで、もう素晴らしい

 

良い事をしても

 

悪い事をしてしまっても

 

失敗しても

 

 

ベースとしては

 

 

自分が大好きだし、自分は素晴らしい

 

 

 

 

 

 

当時はここまで言語化できていたか分からないが

 

 

この考え方は、理屈っぽい私が理屈で考えれば考えるほど

 

 

 

自分自身の人生、幸福を最大化するのに

 

とても理に適った解釈の仕方だ

 

 

 

そんな風に結論付け、めちゃくちゃ自己愛と自己肯定感が高まるのは

 

ネパール旅から数年後の話だ