ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.24

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恋愛関係ほど

 

 

 

利他的であるか

 

利他的を装った善意の押し付けというエゴか

 

 

この微妙だが大きな違いを学べる環境は、他にないように思う

 

 

 

 

スリランカで学んだ事の1つに

 

 

相手へ与えようとする気持ちが強くなるほど

 

善意の押し付けに気付かず

 

 

 

「利他的に考えている自分」

 

 

を正当化して

 

自分の行動が相手のためになっている

 

 

と短絡的に結論付けてしまうリスクがある

 

 

 

give first のボランティアでさえこうなのだから

 

 

多かれ少なかれ

 

相手に求めるものがある、日常の人間関係では尚更だ

 

 

 

人間関係はそんなに単純なものではない

 

 

 

言わなきゃ分からないよ

 

 

という前提でも

 

 

言わないで喜ばせたい

 

言わずとも理解してあげ、力になってあげたい

 

 

 

この矛盾をはらんだ感情は

 

誰しも抱くものであろう

 

 

 

 

 

分からない他人の感情を推し量り、行動し

 

善意の押し付けになってしまった時

 

 

 

最大の問題は

 

推し量った相手の気持ちや求めるものと

 

実際の相手の考えている事

 

 

このGAPではない

 

 

 

多くの場合

 

きちんと相手の気持ちを察する事が出来なかった事が原因で

 

ちょっとした言い合いや、良くない雰囲気になると、勘違いしてしまう

 

 

 

 

 

 

より本質的に重要な事は

 

 

 

 

 

自分の善意の結果、暗に求めている相手のリアクションと

 

実際のリアクションとのGAPだ

 

 

 

そう、相手とのGAPではなく

 

 

 

自分自身の中でのGAPが

 

善意にも関わらず、気分が下がる時の原因なのだ

 

 

 

 

 

 

恋愛に限らずだが

 

 

誰かにgiveする時に

 

 

相手のリアクションを想像してしまうのは、普通の事だ

 

 

 

 

これが前述の通り

 

 

気持ちが強くなるほど

 

 

絶対に喜んでくれる

 

絶対に感謝される

 

 

 

という相手のリアクションの決め付けに

 

繋がりかねない

 

 

 

せっかく頑張ったのに

 

こんなにしたのに

 

 

思ってたリアクションと違う

 

 

 

 

こういう◯◯なのに

 

という感情を抱いてしまう時は、善意を押し付けている可能性がある

 

 

 

 

善意の押し付けを避ける方法を考えると

 

極論、一切を他者に期待しない

 

 

という話になり得る

 

 

 

 

これは非現実的だし、非人間的だ

 

 

 

だからこそ、人間関係は難しい

 

 

 

 

私は彼女との付き合いの中で

 

 

自分の利他を押し付けてしまっている時がある事

 

そして、愛や友情、親切心などの

 

至極、人間的な感情の表現と、その押し付けとのバランスの難しさ

 

 

これに気付いた

 

 

最初は相手の事を思って何かをしたのに

 

なぜかあまり良くない気分になっている時は

 

何かしら相手に押し付けている

 

 

 

 

常に実践する事は、まだまだ難しいが

 

 

1つの解決策として

 

 

アドラー心理学の考え方が、私にはしっくりきている

 

 

 

「課題の分離」という考え方と

 

何度も言うが

 

「感謝」だ

 

 

対価を求めず、健全な人間的な感情を素直に持つのに

 

 

この2つの考え方は、具体的にどう活用できるだろうか?