ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.13

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前職はさすが大企業とも言うべきか、本社にいた事も幸いして

 

組合が大組織であり、精力的にいろいろな活動を行なっていた

 

 

 

中でもアジアの途上国を支援するNGOと連携し、ボランティア活動を行なっているという情報が目に付いた

 

 

組合費ってこんな事にも使われているのか

 

と、驚いた記憶がある

 

 

 

 

 

 

ボランティアなるものを、今までまともにした事はない

 

 

ボランティアに対しては、思う事があったので

 

スリランカの話と絡めて綴っていきたい

 

 

 

 

 

 

 

ニュースやネットでたまに見かける「アジアの貧困な子供たち」の様子と

 

 

組合の活動として、正式に会社を一時離れ、どこかの子供たちの力になれる

 

 

こういうキッカケで途上国の様子を自分の目で見る事が出来る

 

正直言えば、単純に海外に行ってみたい気持ちもあった

 

 

利己と利他、双方の面から興味を持った

 

 

 

そして気が付いたら応募要項を読んでいた

 

 

 

 

 

 

実はネパールがキッカケでスリランカのボランティアに行ったわけではない

 

 

 

もっと前から、当時の上司に相談し快く許可をもらい

 

応募をしたのだ

 

 

 

 

応募先はバングラディシュ

 

 

ムハマドユヌス氏と衣類の工場で有名なバングラデシュ

 

 

 

ユヌス氏とグラミン銀行については、名前を聞く度wikiで調べるものの、今いち全貌を理解していない程度

 

 

 

グラミン銀行については、必ず援護派と否定派の意見を目にする

 

この辺の勉強をするキッカケにもなるかも

 

 

そしてやっぱり最貧国のイメージがある

 

 

 

 

自分に何か出来るかな?

 

やっぱり子供が好きだから、力になりたい

 

 

 

 

異国の地の日常、現状を見てみたい

 

シンプルな好奇心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

応募文章の直しはほぼなく、提出できた

 

 

 

 

後から聞いた話だと、何年も応募してようやく参加できた人もいるらしい

 

 

 

この組合母体は、様々な会社の組合が連合した非常に大きな組織なので

 

会社によって、合格のしやすさや条件も異なるらしい

 

 

 

 

前職は恐らく、枠が多い会社だったのだと思うが

 

 

自組織の組合の支部長も、個人的に良くしてくれ

 

 

ラッキーな事に一発合格だった

 

 

 

 

 

 

しかし渡航の数ヶ月前

 

 

 

政情・治安の悪化により、バングラデシュへの派遣はペンディングとなった

 

 

 

こればかりは仕方ない

 

 

 

 

数年復活の目処が立たず、回ってきたのが

 

 

 

応募資格はそのまま、場所を変えてのスリランカ派遣だった