ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.17

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いわゆる、学校を作ったり、井戸を掘ったり

 

 

もしくは、日本で言えば災害地での手伝いをしたり

 

 

 

ネパールの友人Keiのように、長く住み込んで根本的に村の在り方に関わる方法もあるかもしれない

 

 

 

 

 

私の「ボランティア」に関するイメージは

 

身体を動かしてその人たちのために汗をかく

 

 

乱暴に言えば、こんなTVでよく見るような典型的なものを思い描いていた

 

 

 

 

 

 

しかし、もっと根源的なところで

 

 

 

ボランティアとは何たるか

 

に、このスリランカの旅で終始向き合った

 

 

 

 

 

 

全体の工程は、多くが視察・訪問・情報共有だった

 

 

私がイメージしていた、汗をかくボランティアに近かったのは

 

最終工程で山奥の村にホームステイし、その初日に手伝った石の壁作り位だ

 

 

 

身体を動かしていない時間で気付いた、今まで知りもしなかった要素

 

 

それは

 

 

 

 

 

 

 

 

組織と金

 

 

 

 

文字だけにすると、一見悪い事のように見えてしまうが…

 

 

 

 

もちろん個人でボランティアをやっている人も

 

私のイメージ通り汗をかく類のボランティアをひたすらやる人も

 

 

世の中には沢山いるだろう

 

 

 

 

しかし、今回私が携わったのは

 

スリランカで大きな組織を築いて政界にもパイプを持つ、大組織のNGO

 

 

更にそこに、金的人的支援をする我々の巨大な組合母体

 

 

 

 

大きな組織同士が繋がり、その先の沢山の小さな村々へ

 

 

様々な支援、自立のバックアップを行う

 

 

そんなイメージだ

 

 

 

 

会社員ならイメージしやすい

 

 

 

 

今回の我々の派遣は

 

 

本社の予算権限を持つ部が、支社に視察に来る感じ

 

 

 

一緒にお店を回って、少し現地の仕事をお手伝い・体験してもらい、午後はMTGと会食

 

 

どの会社もよくある流れだろう

 

 

 

 

 

かなりざっくりだが、私はこのイメージに近い構図だと感じた

 

 

 

実際、組合母体とNGO間で

 

どのようなやり取りがあったか、派遣員の私は知らない

 

 

 

 

だが少なくとも

 

 

我々の母体は、NGOに対し主に金銭的な部分で、組合費の一部を支援する

 

 

金額や使途の妥当性と、恐らく向き合わねばならぬだろう

 

 

 

 

そしてNGOは、村々への支援を持続するため

 

組合母体との良好な関係を維持し、各種支援の持続を求める必要がある

 

 

 

 

 

正直、おもてなしされまくった旅であった

 

 

私のようなステレオタイプなボランティアイメージに、強い信念を抱く者がいれば

 

「?」と感じたかもしれない

 

 

 

 

 

だが私は、これこそが社会であり

 

ボランティアという1つの切り口を、社会課題として捉える事だろうと

 

 

ボランティアについて考えるべき視点、課題が可視化したような気がした10日間であった

 

 

 

組織、人、金…そして利害が絡む中で

 

 

全員がハッピーになるには?

 

 

 

 

更にもう1つ、「何が正解だろう?」と考えさせられた事がある