ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.18

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現実問題として、組織や利害関係があるため、実際にボランティアや支援をするという事は

 

 

私が勝手にイメージしていた

 

「身体を動かして現地の助けをする!」という単純なものではなかった

 

 

それどころか

 

おもてなしをされ

 

いろいろとご馳走になり

 

 

 

 

でも彼らはめちゃくちゃ喜んでいて

 

「あなた達のおかげ」とでも言うように、感謝までしてくれる

 

 

 

私達は

 

現地のNGOがどんな活動をして、そのために組合母体が諸支援をしている事

 

 

 

 

何も知らずに来た

 

 

 

 

 

1つだけ確かな事は

 

 

何事もまず知ることから始めるべきで

 

己の目で見る前に、偏見で世界を判断してはならない

 

 

という事かもしれない

 

 

 

 

 

 

 

更にボランティアについて、考えさせられたのは

 

 

 

 

平等性と自立だ

 

 

前者については、今でも忘れられないエピソードがある

 

 

 

メンバーの1人がホームステイした村で仲良くなった男の子がいる

 

 

とても気がきくし良い奴で、きっと大きくなったらこの村のリーダーになるんだろう

 

と思わせる快活な少年だ

 

 

 

 

 

名残惜しみながら村を後にする時

 

 

 

すっかり村の子供達は我々に懐き

 

村人みんなで盛大に見送りをしてくれた

 

 

 

 

その際に、どうやらそのメンバーが仲良しの少年に何かをプレゼントしたようだ

 

 

 

彼なりの感謝の気持ちで、とってもステキな行動だし

 

短時間である事など関係なく、彼らが紡いだ友情だと

 

私は心が温かくなった

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

彼はその後の振り返り・シェアの時間で

 

 

その時の事を思い出して涙していた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村を出てバスから小さくなる村人達を見ている時

 

 

 

なんと、そのプレゼントを貰った少年と他の少年が喧嘩を始めていたらしい

 

 

 

「なんでお前だけ貰っているんだ!ずるい!」

 

 

 

という事だろう

 

 

 

 

 

 

 

彼は好意でやった事だが

 

 

自分は何て事をしてしまったんだ…

 

 

 

と涙しながら後悔していた

 

 

 

 

 

 

 

 

これは非常に難しい問題だ

 

 

 

この話に「平等性の担保」を持ち出せば

 

究極は全世界の全人類を区別なく救うべし

 

という話になりかねない

 

 

 

そもそも「平等」という概念は

 

至極あいまいだ

 

 

 

 

 

 

 

小さな所から、私の目の前にいる人から始めよう

 

 

という気持ちを大事に、自分の意志で特定の人を支援すれば

 

 

今回のような火種にもなりかねない

 

 

 

 

 

 

ボランティアにおける「平等」をどう捉えるか

 

 

 

これは人それぞれの正義の問題であり

 

 

個人的には、共通の確からしい解を求める問題ではないように思う

 

 

 

 

人それぞれの解釈があり

 

 

人をそれぞれの正義がある

 

 

 

私個人の意見については、後ほど綴りたいと思う

 

 

 

 

 

そしてもう1つ

 

スリランカで目の当たりにしたのが

 

「自立」に関する問題だ