ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.19

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何も知らない私は

 

 

「ボランティア」と聞くと、身体を動かして彼らの助けになる

 

 

という単純なイメージを持っていた

 

 

 

 

 

しかし実際のNGOが常に向き合っていた課題は

 

 

 

 

いかに自立を促すか

 

 

という事だ

 

 

 

 

そもそも自立できない程の経済力や環境であるから、支援を必要としている

 

 

というのも、1つの側面としてある

 

 

 

 

 

では永遠に支援し続けられるのか?

 

 

それが依存に繋がる事は果たして良い事か?

 

 

そしてNGOもまた、我々の組合母体のような出資元へ依存体質にならないためには…

 

 

 

 

 

支援と自立は、常に対になって向き合う課題であった

 

 

 

 

彼はは「シャラマダーナ」という合言葉を用い

 

 

自発的な協力・助け合いと、自治自律を目指した活動設計に、かなり神経を使っている印象であった

 

 

 

 

 

 

いくつか村を訪問し

 

 

そこそこ経済力のありそうな家の隣で

 

 

家内が雨漏りして、地面は土、今にも壊れそうな家に子供が何人も住んでいる

 

 

都心は洪水被害が凄まじい一方で、山奥は水不足に苦しむ

 

 

 

インフラレベルでもこういったGAPがあり

 

 

 

小さな村内でも、目に見えた格差があった

 

 

家々で状況は違うし、日本人では想像できない暮らしぶり

 

 

 

 

それでも、村や小さな自治区単位で

 

リーダーを決め、皆で協力し合い

 

どうしたら助け合って、みんながハッピーになれるか

 

 

 

 

それらをNGO派遣員と村の人々がしっかりと話し合って、前を向いているように見えた

 

 

 

 

 

この表面的な視察でも、我々メンバーはショックを受ける事が何度もあったし

 

 

 

自分達がいかに贅沢な暮らしをし

 

恵まれた環境か

 

 

思い知る事となる

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、忘れてはいけないのが

 

 

会社で言えば、我々は本社から来たメンバーであり

 

 

支援元の組織であるという事だ

 

 

 

 

 

 

良い悪いではなく

 

立場によって、見える事と見えない事があるのは当然だ

 

 

 

 

今だからこそ思うが

 

 

自分の目で見ると

 

それが全ての真実であるかのような錯覚をしてしまう可能性がある

 

 

 

 

あの時、我々には見えなかった問題、課題がある事を

 

 

心に留めておかなければならない

 

 

 

 

 

 

見えた範囲内で「自立」について感じた事、学んだ事

 

 

 

それは

 

「与える」には依存のリスクがある事

 

 

持つ者が持たざる者へ与え続ければ良いではないか

 

 

そういう意見もあるだろう

 

 

 

 

 

だが彼らが目指しているものは

 

 

最終的には支援無しで、自分達で状況を改善し続けていける状態

 

そのゴールを初期にしっかりと合意する事

 

 

そしてそのゴールをぶらさずにモチベーションを維持する事

 

 

 

 

文字にしただけでも、いかに難しい事かが想像つく

 

 

 

 

与えなければどうにもならない

 

 

でも与え続ければ、それはむしろ弊害かもしれない

 

 

依存を生まずに自立を促し、共に頑張っていく

 

 

私の見たボランティアや支援では、相手の自主性が非常に重要だ

 

 

 

 

 

じゃあ具体的にどうするの?

 

 

答えは一朝一夕で出るものではなかったが

 

 

 

 

少なくとも

 

 

私個人が、ボランティア・支援と向き合う時

 

 

 

 

常に依存のリスクがあり、自主性を促して「自立」を目標とする

 

 

 

このスタンスが1つの解である

 

そんな風に感じた、スリランカの旅であった