ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.39

f:id:sugayan:20191223125918j:plain

 

1年も前に

 

「退職してワーホリ に行く」と打ち明けたのには、理由がある

 

 

 

1つは、前述の通り

 

お世話になって一緒に頑張っている上司と先輩には、いろいろ決めた段階できちんと自分の考えを伝えたかった事

 

 

そしてもう1つは、会社全体に対して自分なりに迷惑を最小限にしたいという思いだ

 

 

 

 

私は、あまり物事には執着しない

 

 

物凄く好きだったり愛着があっても、執着はしない

 

と書くと矛盾しているようで、上手く表せないが

 

 

その時にとても大事だったり愛着があっても、一旦離れたら執着せず手放すという感覚だろうか…

 

 

ともかくそんな性格なので、何の未練もなくスパっと辞めてケロっと海外に行く

 

 

自分自身で、そんな奴だと思っていた

 

 

 

だが、いざ退職を決めて

 

上司と先輩にも話そうと考えた時

 

 

 

 

浮かんできたのは、会社への恩・感謝だった

 

 

 

もちろんお世話になった1人1人への想いはあるが

 

 

それが積み重なり、「会社」になるべく迷惑を掛けず、恩を返せる形で辞めるには

 

辞めると言いながら身勝手ではあるが、そんな考えが頭を巡っていた

 

 

 

 

入社3年間後のジョブローテーションで、販売会社の本社へ来た

 

 

いわゆるメーカーのブランド系や宣伝広告系のマーケティングへの異動はよくあるが

 

細かく分社化していたグループで、販売会社のマーケティングには20代が1人もいなかった

 

 

割と新しい部署というのもあるが、他の部署含めてもフロアには20代が1人もおらず

 

あまり例のない異動だったので、受け入れ側も正直困っただろう…

 

 

そんな事もあり、ひたすら議事録をとる事から始まり、自由に多くの事に関わらせてもらって実に4年間

 

気が付けば「些末な事で何か困ったら、とりあえずあいつに聞いとけ」と、浅く広い何でも屋になる事が出来た

 

 

その過程で、本当に沢山の人と関わりを持ったし

 

多くの人に可愛がってもらえ、飲み会やフットサルで知り合い、その後仕事で関わった時にはとてもスムーズに気持ち良く…なんて事も多かった

 

 

 

組織的には旧態依然とした所や、自分が経営者だったら大企業のジレンマで頭を抱えるな…なんて妄想をした事も多かったが

 

仕事するうえで関わる個人は、直接でも顔が見えないメールだけでも、本当に良い人達が多く

 

 

一生懸命に仕事ができる環境だったと、今振り返ると思う

 

 

 

文字面の良い感謝だけ綴って、ネガティヴな事を隠すのは気持ち悪いので

 

もちろん

 

「ふざけんな!」

「理不尽だ!」

「(目上の人に対しても)この野郎!」

 

と思う事は何度もあった

 

ストレスを感じにくい自分でも、会社に行く事が嫌だったり、ストレスが溜まっていた時もあった

 

 

 

だが、思考停止して「早く終わらないかなー」と作業だけ淡々とこなす日は、ほとんど無かったように思う

 

 

 

共に仕事をする相手の事を考え

 

常に生産性を上げられないかと頭を使い

 

ちょっとした会話で笑ってふざけたり

 

 

 

 

 非常に心地良い人間関係と自分のペースをコントロールしやすい環境の中、仕事をさせてもらった

 

 

 

 

本当に沢山の部署、人と関わり

 

総じて「その人たちのために頑張る」「恵まれた環境」という感覚が、常に心のどこかにあったからこそ

 

 

自己都合で辞めるけども、身勝手ながら自分なりに「会社のため」を考えたい

 

 

そんな風に思えたのだろう

 

 

そこでまず考えたのが、異動のリスクだ