ヒゲニートのギリホリ奮闘記

ヒゲニートのギリホリ奮闘記

30歳が突然脱サラしてヒゲニートになり、年齢ギリギリでワーホリに挑戦するログ

ヒゲニートへの道 p.47

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お渡しする物を選ぶのに、丸一日かかってしまい「この人にはあーでもない、こーでもない」と沢山の店を歩き回り…途中、自分でもなぜこんなにこだわっているのか分からなくなる程だった

 

 

お渡しする相手も多かったため、そこまでこだわった物や高価な物は用意できない

 

だが、相手の顔を思い浮かべると、可能な限り「この人だからこれ」という特別な理由でしっかり選んだ物をお送りしたかった

 

 

 

 

普段、自分でも割とドライな性格だと思うし

 

正直、ここ数年で他人からどう見られるかは本当に気にしなくなった

 

 

だが、退職直前に1人1人への感謝の気持ち、沢山助けてもらってきたという事実を振り返り、じっくりと味わい

 

 

自分はこの会社で関わった人達の事を、無自覚にこんなに好きだったのか

 

と、初めて気付いた

 

 

 

 

そして

 

全部自分でやらなければならない、他人に頼るべきではない、という思想を持っていたが

 

 

 

今までどれだけ多くの方に迷惑をかけ、助けて頂いたか…それを思い返した時に

 

 

深い感謝と

 

 

なぜか、とても清々しい気持ちになった

 

 

自分が出来た事とは比較にならないほど、してもらった事、助けてもらった事、許してもらった事の方が圧倒的に多い

 

 

 

なのに、とても清々しい気分 

 

 

それは恐らく、自分が彼らの事を好きだからだ

 

嫌いな人に迷惑をかけるのも、助けてもらうのも良い気分ではないだろう

 

自分が人を好きになれば、自然にその人達のために動こうと思うし、何より「頼る=悪い事」ではなくなる事に気付いた

 

 

 

「他人は自分の鏡」

 

とはよく言ったもので、自分が会社の人達に対して「好き」を根幹に「気持ち良く助けてもらえる」状態でいたからこそ

 

 

「自分は愛され、必要としてもらっていた」と、一見すると自意識過剰な捉え方が出来たし、実際に沢山お声掛け頂いたのだと思っている

 

 

自意識というのは解釈なので、本来、過剰も過小もないかもしれない

 

自分が他人をどう思っているかで、「自分がどう思われていると解釈するか」は規定される

 

 

 

実はたった1人だけ「好きじゃない、一緒に仕事したくない」と思う人がいた…

 

一時期しか一緒に仕事をしていないが、単純に人として合わない…血の通った人間として、相性というのはやはりあるものだ

 

 

だがこの1人の存在のおかげで、キレイゴトでなく多くの人に自分が感謝を伝えたい、好きだという気持ちは、ちゃんと本物だと認識できた

 

 

 

 

こうして退職時は、幸せこのうえない状態で

 

そして8年間は、人生における不可欠で最高な時間だったと

 

本当に「終わりよければ全て良し」で、オフィスを後にすることが出来た

 

 

 

 

 

大した結果も残していないうえに、勝手に辞めて…頭の中お花畑なハッピー野郎だと思うだろうか?

 

 

今となっては私はハッピー野郎だと思う

 

だが、思考・解釈だけは誰にも妨害され得ない、永遠の自由だ

 

 

私は前職で関わった人達が大好きだし、多くの人に愛さていたと本気で思っている

 

 

 

昔だったら「自意識過剰かよ気持ち悪い」と思ったであろう解釈を、本音で出来た事で

 

とても幸せな気持ちになったし、少なくともその解釈によって人間関係が悪化したり、ネガティヴな事が起きたりはしていない

 

 

むしろ、自分でそう受け止められるようになってからは、もっと人の事が好きになったし、「自分愛されてる」と気持ちよく思えるようになった

 

 

 

 

人と人との繋がり

思考と解釈

 

 

何かその本質のようなものを見た気がした

 

 

この経験を通して、私は明確に「ご縁を大事に」と言語化し、私の人生で最も重要な信条の1つとしたのだ

 

 

 

 

そしてこういった内面の変化・気付きに伴い、自分の中で大きくハードルが下がった事がある