ヒゲニートへの道 p.48
自身の人に対する気持ち、それが少なからず仕事のモチベーションになっていた事、そしてその解釈により「自分は愛されている」と捉える事ができた事
退職前のいろいろなやり取りを通して気付けた大切な事だ
そしてそれにより、今まで難しかった“ある事”のハードルが自分の中で下がった
それは「頼る」事だ
私は昔から、人に頼る事、お願いする事が苦手だった
きっと心のどこかで、頼ったり助けてもらう事は
自立していない事であり、弱さであり、ちゃんとしていない事
そんな風に思っていたのかもしれない
「ちゃんとしなきゃいけない」
そんな思想が奥深くにありながら
「無理はものは無理」
「めんどくさい、しょうがない」
そんな不真面目さも併せ持っていた
だからいつも自分を正当化しつつも、本当は自分で全部やらなきゃ
そういう歪で都合の良い完璧主義を持っていた気がする
だが、ネパールとスリランカでの経験、コーチングや今まで知り合った事ないタイプの人達の出逢い、そして会社でのラスト1年間
そして「退職」という、改めていろいろと考え振り返るイベントで
「人に頼る」のは強さだと気付いた
強い、弱いと表現すると私のイメージと少し変わってしまうが
「人と頼るのは弱さ」
と認識していた頃から180度変わったという事だ
私は今まで何かを完璧に出来た事は一度もないし
「普通の人より出来ない」と思う事が、子供の頃から本当に多いし、今でもそう感じている
何をやっても続かないし、すぐに逃げるしすぐにサボる
私生活も仕事も、失敗やミスばかり
謝って許してもらう事、助けてもらう事、頼る事が、今までどれだけあったか
むしろ他者の助けなしに自分が何かした事があったか
それでも、大好きな友達もいるし、職場でも人間関係は良好だったし、自分の事も好きだ
退職時は前述の通り、幸せ極まりない迎え方をした
最も重要な事は、1人では何も出来ない、人より出来ない事が多い、助けてもらってばかりだけれど
今の人生に不満はないし、既にとても幸せに生きている事
退職時の幸せな解釈から、改めて「人に頼る」事への今までの態度、実際の今までの生き方、そして今現在の自分の在り方…
これらを客観的に見て、はじめて今までの自分の歪な解釈に気付けた
「頼る=弱さ」という解釈は
裏を返せば「自分の弱さは見せてはいけない」という思考
大げさに言えば、ありのままの自分に嘘をつき否定するという事だ
今まで人に感謝した時、助けてもらった時、信頼関係が深まった時、人との関わりで幸せな気持ちになった時
多くは、誰かに助けてもらった時、そして誰かに感謝された時
そしてもちろん、逆もまた然り
人とは社会的な生き物であり、本来自然に助け合うもの
もちろん、giveなしでtakeばかりするのは考えものだが
頼る=迷惑、弱さ
という発想こそ、非人間的であり、人生の豊かさ・人としての幅を小さくするような考え方
今までの自分の生き方、ありのままを素直に見つめ、そんな風に考え方の変化があった
フィリピン留学やオーストラリアワーホリもあったため、人にお願いし頼る事が沢山あり
こちらが気持ち良くお願い出来た時こそ、相手も快く対応してくれるし、何よりそういう姿勢が新たな縁に繋がる事を何度も経験した
これからは沢山人に頼って、助けてもらいながら生きていこう
もちろんそれは、「依存」という立場で生きようという事ではない
その倍以上に、giveして、知り合いも知らない人も見返りを求めず助け、力になり寄り添って
困ったときは、自分も気持ち良く助けを乞おう
その方が人間らしいし、何より自分はそっちの方が楽しくて人生も上手く転がるようだ
この考え方の変化は、もしかしたら今後の人生の波を長い目で大きく変えるきっかけかもしれない
今はそう思っている